生駒少年ラグビークラブは40年の歴史を持つ奈良県生駒市で活動するラグビークラブです。

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ご挨拶


生駒少年ラグビークラブ会長 三宅 秀和


生駒少年ラグビークラブの関係者の皆さん
あけましておめでとうございます。
今年も、皆でより良いクラブにしていきましょう!

昨年から新しいコーチも増えましたので年の初めに、クラブの方針を再認識したいと思います。

1.指導について

 日本協会もNZ協会のように、低学年はコンタクトのないタグラグビーになるとのことを
 おききしましたが、大賛成です。
  ・思うように走りまわる
  ・ボールにたくさん触れる
 といった、ラグビーフットボールではなく、ラグビーハンドボールに親しむこと。

 低学年から高学年まですべての学年とも同じなのですが、
 勝つことが目的ではなく、皆がたくさんゲームをして楽しいと思えることが目的です!

 コーチは、「こうしなさい!」「なぜできないの?」という指示ではなく、
 困っていたり迷っていたりすれば、話を聞いてあげてください。
 そしてうまくできる方法を気づかせてやってください。
 そして、うまくいったら褒めてあげてください。

 他のスクールでは、まだまだよく見かけますが、(生駒でもまだ見かけることがあります)
右!左!当たれ!オーバー!挙句の果てには、何やってんねん!とコーチが叫んでいる姿を・・・。
これはコーチではなく、「大人の勝手なわめき」、「身勝手なストレス解消」です。
 私も経験がありますから判りますので、あえて言います。
 コーチングではない!
 そして、叫ぶなら
 「ナイス!」「ええぞ!」「うまい!」「よくやった!」とほめる言葉を叫んでやってください!

2.運営について

 生駒は情報共有と役割分担でひとりの人に負担がかからないようにします。
 皆さんは、ラグビーが好きで、仕事ではなくボランティア精神で
 クラブにかかわっていただいていると思います。
 運営委員会もメンバーを増やし、役割分担し、各役割の情報共有をすることによって
 その人が都合が悪く欠席になっても、運営に支障ができるだけないようにしています。
 誰だって都合があり、変更が必要になることがあります。
 役割をカバーしあえる組織は、継続運営可能な組織であると考えますし、
 子供たちのためにより良い運営をすることが、クラブの目的かと思います。
 しかし、運営委員会メンバーだけでは十分に対応できない時があります。
 主担当コーチ、副主担当コーチの方々も、運営にご協力いただき
 より良いクラブを目指していきたいのです。

 主旨ご理解いただきたく、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


  生駒少年ラグビークラブ
  三宅 秀和






クラブのエンブレム



生駒市の木”樫”(かし)の葉をデザイン化したもので、生駒の山を象徴するグリーンを子供達の団結カラーとした。

ユニフォームの由来

子供達の心身共に健康な潔癖さを白で、また激しい闘志・情熱を赤で表している。
赤白の縞は、子供達の中から数多くの全日本の選手が出るように願いを込めて、全日本のユニフォームを、子供用にデザインしたものである。




クラブ理念

十年一昔という、年の故か最近は月日の立つのがむやみに早い。思い出を綴るのは易しいが大きな意味があるとは思えない。将来を論ずるのは重荷すぎる。ひたすら希望を述べるのみである。
 この種の組織あるいは結合体を維持するのは大仕事である。利益共同体の方がよほどやり易い。それだけにコーチ陣、バックアップ陣の不断の苦労が今日のクラブ基礎の確立と隆盛を支えているといえる。


 私はよくラグビーを通じて健全な肉体と精神を育成するのがクラブの目的と説いてきた。これは主題としては恒に正しいであろう。しかしさらに副題としては競争しつつもしつつも協力して勝利実現への闘争心を湧き立たせ、その結果としての勝利がいかに素晴らしいかを実感させるというより具体的なテーマを付加した方がよいと思っている。そうでなければ単なるヘルスクラブになってしまう。私は会社のラグビーチームの面々にもチームワークは、ナアナアのなれ合いでの表面的チームワークの良さは極めてもろいものであり、本当のチームワークは熾烈なポジション争いをした後でなければ得られないと口を酸っぱくしている。これは言うべくして行い難いものであるが子供達にも早くから行って聞かせても良いのではないかと思う。彼らは早晩社会生活において直面体験せざるを得ないのだから。そういうのが私の信念である。


 生駒の少年ラグビークラブが今後も一層の繁栄を祈るや切である。




クラブのあゆみ


生駒少年ラグビークラブの生い立ち

昭和49年の歳の瀬も押し迫った某日-ふらっと近鉄不動産本社を訪れた私に、坂田好弘氏が、まちかねていたようにこう言った。
「生駒に少年ラグビー同好会を作りまへんか。生駒は近鉄のOBも多いし、絶対によろしいぜ」-。
 選手生活を、このシーズンにかける偉大なる”ラグビーの虫”は、現役を退いたあと、選手を育てることに、新しい生き甲斐を求めようと考えついたのだろう。その後も、会うたびにこの話。”何かラグビーで世の中に恩返しを”と思っていた私は、少年ラグビーを真剣に考えるようになった。そして、こんな二人の気持ちに、ハズミをつけてくれたのが、田代和氏の会長就任の”快諾”であった。


 最初の問題解決で、会発足の機運は一気に具体化。まず、坂田氏の大学、近鉄を通じての先輩である長谷川雄彦氏に協力を求め、さらに宮毛理氏や、林辰五郎、甲佐史郎、北波禎各氏ら、ラグビー同好の士に呼びかけ「同好会だから・・・」と、規約もユニフォームもないまま、コーチ8人、生徒20人が生駒東小に集まってスタートを切った。話が出てから半年後の50年6月8日のことである。


 もっとも、船出はしたものの、その直後に”いい出し兵衛”の坂田氏が転勤で去ったうえ、他の指導者も数える段になると、ズブのしろうとばかり。練習といっても、日曜日の午前中、大人と子供が、楕円球を使って”仲良く遊んでいる”というのが実情だった。それでも、一ヶ月後には40人。翌年は66人と急増。「これでは同好会よりクラブとした方がいい・・・」との意見が出て、名称が現在の”生駒少年ラグビークラブ”に変わったわけだが、生徒の数はその後も増え続け、3年目には早くも88人。その翌年には遂に100人の大台を突破して118人の大所帯。電話で申し込みを受ける女房が、毎年、定員後の断りに一苦労。「定員後の一人目、二人目がとくにかわいそう」と気の毒がる状態が続いている。


 気楽に初めて9年-この間、会の憲法である規約は、占部、桑田両氏らの努力で”ラグビーを通じて少年の健康づくり”をテーマにした立派なものが出来、チームの顔である胸のワッペンも「生駒市の木である樫の葉にしたら・・・」というのを、長谷川氏が苦労して見事なものに作り上げてくれた。また、練習に一番大切なグラウンドは、宮毛氏が奔走して確保。手薄なコーチ陣は、父兄の協力で年々充実。それにつれてクラブの形も整ってきた。


(中略)


 うまく軌道に乗った生駒少年ラグビークラブは、これからも純粋な奉仕の精神を柱に、関係者の理解と協力で、ますます大きく羽ばたいてゆくことだろう。またそれを、発起人の一人として心から願っている。


(ふれあい創刊号より、抜粋)





卒業生達の活躍

ここ生駒少年ラグビークラブでラグビーを一緒に初めた先輩達がトップリーグ、大学、高校ラグビーでも活躍しています。
随時掲載して行きます。